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JD共済とは

運転代行の専門共済

ジェイ・ディ共済協同組合は、運転代行事業者による自治的な協同組合組織です。
目的を同じにした組合員が協同で運営にあたり、民主的に管理する事業体を通じて、経済的な安定と地位の向上を目指しております。
 
運営実践は、中小企業等協同組合法に基づいて行っております。

信頼と安心の絆

【決算内容は総代会にて報告・承認】

JD共済は、共済事業の健全な運営を最も大切にしています。毎年6月に各都道府県の組合員の代表者である「総代」の方々による「通常総代会」を開催して、より一層充実した事業内容への改善策などを審議し、あわせて当該年度の決算内容の報告も行い、皆様へ決算情報をお知らせしております。
※決算内容に関しては、監事及び公認会計士によって監査が行われた正確な内容を公開しています。

【資産管理は万全】

組合員の損害に対する補償への準備はもちろん万全です。将来、発生するであろうと想定される事故に対する賠償金のストックを「責任準備金」と呼んでいますが、常に十分な資金を積み立てに充てています。「剰余金」は法律でその運用が厳しく制限されており、資産管理は万全を期しております。

【高額補償の備えも十分】

高額補償に対しては、さらに万全を期すために、国内最大手の損害保険会社と再保険契約を結んでいます。

「真に運転代行事業者のための共済」 の初志を貫徹

JD共済は、2002年8月に警察庁・国土交通省から運転代行の損害補償を引き受ける共済団体として"第1号の認可"を受けた共済です。全国の代行事業者様にご加入いただいています。
共済とは、職業や地域など共通点を持つものが資金を出し合い、万が一事故が発生した場合、出し合った資金で補償を行う事業のことです。
JD共済の「JDは、ローマ字で書いたジャパン(APAN)代行(AIKO)の頭文字からとり、文字通り全国の運転代行事業者のための相互扶助を目的とした共済です。
 
JD共済では、万が一の事故に備えて、事故受付コールセンターは24時間・365日体制で対応しております。また、全国約60ヶ所の事故鑑定・調査事務所と連携しており、さらに難解な案件には顧問弁護士が対応させていただくなど、万全で安心の事故対応を行っています。

「親切・丁寧・適正・迅速」な対応を心がけております。

運転代行ゆかりの地で創業

黒部ダム建設と運転代行

「運転代行の発祥の地」については諸説ありますが、その中で「発祥地は富山県」という説が最も有力とされています。
1945(昭和20)年に終戦を迎えた日本において、関西地方は深刻な電力不足に悩まされ、復興の遅れと慢性的計画停電による不安定な社会生活が大きな問題となっていました。この電力不足を解消するために、関西電力が挑んだのが、新たな電力エネルギー確保のために黒部ダムを建設するという国家的大規模プロジェクトでした。
この巨大ダム建設事業は、総工費500億円(当時の関西電力の資本金の5倍)、就労者延べ1,000万人という、当時としてはとてつもない大事業であり、1956(昭和31)年の着工から完成まで7年の歳月を要しました。特に、1959(昭和34)年の黒部トンネル貫通後は、早期完成を目指し、工事は昼夜を問わず進められたと言われています。このような困難な工事に従事し、黒部の奥深い山の中で飯場生活をしていた現場作業員には多くの苦労がありましたが、ひとときの楽しみもありました。それは、月1~2回の休日に、みんなで山奥からおりて富山市内へ出かけ、飲食店でお酒を楽しむことでした。
宿舎から富山市内の飲食店へ行くときは、工事作業用の車に乗って行くことになるわけですが、お酒を飲んだ後、宿舎に戻る帰りの手段が大きな問題でした。帰りの運転をする人だけがお酒を我慢するのもつらいですし、だからと言って飲酒運転をするわけにもいかないのですから、大きな頭痛の種だったことは想像に難くありません。
なじみ客である現場作業員がとても困っていたこのような事情を、行きつけの飲食店の店主が察して、帰路の安全を確保するために考え出した方法が、「飲食店の従業員が、現場作業員が乗った車を代わりに運転して宿舎まで送り届け、その従業員は後ろから付いてきた飲食店の車で富山市内へ戻る」というものです。このように、黒部ダムの建設をきっかけに昭和30年代富山の地で「運転代行の原型」ができあがったというのが定説になっています。
黒部第4ダム

JD共済は『運転代行発祥の地 富山』に事務局を置いています

私どもは、運転代行と縁の深い「富山県」で、1996(平成8)年、任意団体「ジェイ・ディ共済組合」を創業しました。そして6年後の2002(平成14)年に国の認可を受け、ジェイ・ディ共済協同組合へと改組し、富山市に事務局を構え、本格的に事業をスタートさせました。
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